梅の便りがちらほら届いて
一雨ごとに春が近づく
そんな季節になりましたね
こんにちは 祥子です
先日 心臓病の診察に
母が一緒に行ってくれました
主治医が母に丁寧に
説明してくださるんです
「娘さんの心臓は 相当進行しています
運良くもっと早く 見つかる方もいるけれど・・・
いろんな症状があったはずなのに
我慢強い性格が災いしたかな・・・
あとは医学の力で
進行を緩やかにするしかないですね・・・」
それを聴く母を心配しながらも
私はといえば 改めて
「そっかあ 我慢していたんだなあ
心臓さんごめんね」って 思っていました
幼いときは
少し調子が悪いと伝えるだけで
「気にしすぎ」とか
「神経質」だって言われていたんですよね
だから我慢したのにな
今ならわかりますけどね
心配性の母は 娘の不調を
受け止められなかったんだろうなって
でも 幼い私は無知だから
母や周りの大人の声を まともに受け取って
我慢しなきゃって思ったわけで・・・
それは無意識に沁み込んで
頑張りさんになっていましたね
・・・その頑張り屋さんが
災いしたらしく あららこんなことに^^;
「どうしろっちゅうねん」
というのが こころの本音(笑)
色々感じて 今はもう
誰がなんて言おうと とことん
「自分を貫け〜!」って
メッセージなんだなあと思えています
だから もう
とことん自分を生きますよ〜!
・・・なんてね 実は
最近まで悩んでいました
どう生きたらいいんだろうって・・・
予防のはずが11月に
まさかまさかの本当に倒れて
機械のおかげで助かった訳なんですよね
ありがたい
本当にありがたいけれど
実は しばらく
苦悩の日々でした
だって あの時 機械がなければ
私はここには もういなかったわけだから
死ぬタイミングを逃してしまったって
思ったんですよね
私の心臓は もう疲れきっていて
終わりたかったんだなって思うと
無理をさせてるんだ
ごめんねって思ってしまって
じゃあ今はなんなんだろう
どう生きようって しばらく悩みの日々でした
そんな時 勇気づけられたのは
昨年2月に書いた自分のブログ
「命はいつも生きたがってる」ってフレーズに
そうそう そうだった!って思い出せました
生きるとか 死ぬって人間の叡智を
遙かに超えたものでしたね
人がどうこうできることは なにもない
そんなこと思い出しながら
先日も あるクライアントと話していたら
「でも 死にたいって言う人もいますよね」
それってどういう事ですか? って聞かれたんです
いらっしゃいますよね・・・
そうだなあって思いながら
私が思うことを こう答えました
それはね 死にたいくらい
「自分を生きられていない」って
内側の叫びなんです
つまり 生きたいって叫んでるの
自分らしく生きられていないって
命の叫びです・・・
だから しっかりと
自分の本当の声を聴いてあげて欲しい
人の命は生きたいって 選択しかないんです
それは自然と一緒 呼吸と一緒 感情と一緒
人間の意志ではどうにもできないもの
自然の摂理です
「生きる」を
プログラミングされているようなもの
そして この命の時間には
限りがあるわけですよね
だから 頑張りたくなるんじゃない
そこにも 意味はない
自然とそう思うもの
やる気が起きない時は
命の声をしっかりと聴いてあげてください
限られた命を感じられたとき
人生の豊かさって見えてくるものだから
先日 観た映画の中には
こんな言葉がありました
病床でまもなく人生が終わる母親を
心配そうに見つめる娘に
母親が安心してと言わんばかりに
こう言うんです
「決定権は神にある」って
それを聞いてハッとして
私は ようやく悩みから解放されました
どう生きたらいいんだろうなんて
おこがましいですものね
最期の決定権は
人の力が及ばないところにある
ゴールがあるから頑張れる
そう思えたら
安心して 委ねて
今を生きようと思えたのでした
どうでしょうか?
命は生きたいもの
ただそれだけ
だから 生きたいように生きよう
どうしたらいいかではなく
どう在りたいか
大切なのは
いみでも いぎでもなく
いまを生きること
どんな時も
あなたの命は生きたがってるよ
そして 生きている限り
堂々とありのままで ここにいていいんです
愛と勇気を込めて
祥子
追伸
主治医のK先生へ
それでも私は自分は運がいいと思っています(笑)
感謝を込めて
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