先週末はfloweringセラピー®のリトリートでした
大自然の中での3日間
毎回だけど今回はアシスタントとして参加させていただいたこともあり
またまた感動が増しました
そのことはブログに書きました♪
→https://ameblo.jp/coeur-recette/entry-12381457276.html
さて
そのブログの最後に私の耳は難聴だって書きました
私は両耳難聴です
耳鳴りは24時間轟音のように鳴り響いて
補聴器をしていても聴こえない言葉や音がたくさん
なのに
どうしてリトリートに参加してそして毎回感動してしまうのか
お話しさせていただきますね
≪今≫この瞬間にいると
耳ではなくこころで聴くってできるんです
不思議なんだけど
お顔が観えなかったり
こちらを向いていない言葉は聴き取れないんですよね
だからこそ
その≪場≫の感覚をとらえてるんだなって思います
でも聴こえてますからね(笑)
一対一のセッションは全く問題ない
人のお話を聴くときは
声や表情や口の動きも一緒に聴いてます
こんな私がセラピストとして
今いることにはとても不思議なご縁ですよね
本当はね いろんな人とお話ししたいタイプ
でもね・・・
『聴こえないんだから行っても意味ないよ』
『みんなが笑っている時や誰かの素敵な言葉が
一人だけわからないとか悲しくなるよ』
『会話の中で相手の人に
〈エッ?〉て聞き返すたびに申し訳なさで悲しくなってるじゃない』
ってエゴさんの囁きにこころが負けそうになったけど
でも気づいたの
私が授かったその感覚は大切にしないとね
なんでも知りたがりで外の世界に正解を求めに行く私に
神様は難聴と耳鳴りをくださったみたい
『もっと 自分の内側を信じなさい』って
聴こう聴こうと頑張る時
それは 思考だけが働いているから
ハートはストップして感じられていません
感じていないということは
自分の本心に繋がれていないということ
思考はね現実を生きていくためにはとっても必要だけど
自分を知る
自分を感じる
自分を信じる
そんな時には ちょっとお邪魔です
(思考さんごめんね(;^_^A)
自分以外の外の世界に答えを求めに行くと
自分の本当の声に気づかないふりしたり我慢して
本心を捻じ曲げてしまうから
だんだんと
自分が何を感じているかわからなくなるの
するとね 自分の本心への回路が詰まっていく
自分を感じたければ
≪知る≫ことより≪感じる≫ことが大切です
私には聴こえないことはいっぱいあるけど
本当に必要なことは≪聴こえます≫
人の言葉も本当にその人のハートからの言葉なら
≪言葉≫ではないところで感じるから
聴こえていなくてもこころが震えます
それを 感じられたのがリトリートでした
だって 聴こえていなくても
こころが感動して震えて涙が流れているから
floweringセラピー®とリトリートは
≪ありのままの私でここにいていいんだ≫って
確信させてくれました
ここにいてもいいですか?
じゃなくてね
私は私のままでここにいますって思えます
floweringセラピー®は
聴こえない私でもありのままで
ここにいていいんだって自信をくれました
これは
耳が聴こえていても同じじゃないかな
自分を信じること
大切なことは
これでいいのかどうかではなく
自分がどう在りたいか
こころで聴いているとき
それが≪今ここ≫にいるということ
それが自分の本質と繋がれることだって
floweringセラピー®は体感できます
もうしっかりと
ありのままの自分でいいんだって確信しませんか
あなたのこころが花咲きますように
感謝を込めて☆